土曜日のシュートボクシング新宿FACE大会のパンフ作ったり、Number(7/4発売)の原稿書いたり、kamipro Handのコラム書いたり、なんか頭クラクラしてぶっ倒れたりしてたら水曜日になってしまいました。
で、遅ればせながらではあるが、6.22全日本キック『野良犬電撃作戦』のことは書いておかなくちゃいかん。これはもう誰もが言ってることだけど、凄まじい盛り上がりだった。休憩後は日本勢がムエタイ軍団に3連敗を喫したわけだけど、インパクトを残したってことは興行が成功したってことだ。
特に石川vsカノンスック。石川がこの試合で負けるっていうのがもう……。悔しいとか残念とかじゃなく、その事実の重さ、大きさそれ自体に圧倒された。キックに限らず、スポーツに限らず、もう興奮のあまり大げさに言っちゃえば“生きる”ってのはこういうことだよな、と思えた。以前、小林聡の試合を“アメリカン・ニューシネマのようだ”と書いたことがあるが、この試合も同じだろう。
石川は試合後、「全部背負って闘った」と言っている。全日本キックの選手たちが対抗戦で負け続けていること、小林GMプロデュース興行のメインであること、母親の死、それら全部を背負って、石川はリングに上がった。そしてそういう選手でさえも負けてしまうという現実。これは見る側もしっかり受け止めなきゃいけないだろう。
だから石川が母親を亡くした悲しさと、試合に負けた悔しさを重ね合わせたり、敗因をそこに求める(いつもの石川ではなかった、みたいな)のは失礼なんじゃないか。石川は公開練習の時、この試合を「母ちゃんが作ってくれた最後の舞台」だと言っていた。つまり“母親の死を乗り越えて”ではなく“母親の死さえも力にして”闘おうとしたわけだ。無理やり自分に言い聞かせていたのかもしれないけど、そういうふうに考えることができる石川は、キックボクサーとしてかなり高いレベルにいると思う。小林GM言うところの“見られるんじゃなく、見せる”境地に達している。全部背負って闘った、という“全部”の中には“プロとしての業”も含まれているはずだ。
そして繰り返すが、そういう試合で負けという結果が出た。後半の失速は、転倒した際に頭を打ったのが原因らしい。こんな大事な試合で、とてつもなく気合いが入っていて、それでも頭を打ったらフラフラになる。腹を思いっきり蹴られたら立てなくなる。当たり前の、もしかしたらつまらないとさえ言える現実なのだが、それもまた石川が背負った“業”かもしれない。だから見る側に対しての破壊力も大きく、心に突き刺さるものがある。
もちろん、敗北は敗北であって、それ以上でも以下でもない。こっちとしても“価値ある敗北”とか“この悔しさをバネに”とか、そんなこと言いたくはない。ただ一つ書いておきたいのは、“全部背負って”闘って、そして負けるなんていう経験は並の選手にはできないってことだ。全日本キックでいえば、そういう経験をした選手は小林聡以降いなかったと思う。ちょっと言い方が難しいが、石川には、小林以降誰もしてこなかった経験をするだけの資格があったのだ。
いや、凄い試合を見せてもらった。勝ったカノンスックの底力も見事だったが、それ以上に石川が背負ったキックボクサーとして、プロとしての業に恐れ入った。立川談志は落語家を“作品派(代表例は桂文楽)”と“生き様派(代表例は古今亭志ん生)”に分けていて、明らかに“生き様派”を志向している。この分類は、あらゆる表現者に共通しているはずだ。そして石川は、今回の試合でキック界における“生き様派”の代表格になったのだ。
で、遅ればせながらではあるが、6.22全日本キック『野良犬電撃作戦』のことは書いておかなくちゃいかん。これはもう誰もが言ってることだけど、凄まじい盛り上がりだった。休憩後は日本勢がムエタイ軍団に3連敗を喫したわけだけど、インパクトを残したってことは興行が成功したってことだ。
特に石川vsカノンスック。石川がこの試合で負けるっていうのがもう……。悔しいとか残念とかじゃなく、その事実の重さ、大きさそれ自体に圧倒された。キックに限らず、スポーツに限らず、もう興奮のあまり大げさに言っちゃえば“生きる”ってのはこういうことだよな、と思えた。以前、小林聡の試合を“アメリカン・ニューシネマのようだ”と書いたことがあるが、この試合も同じだろう。
石川は試合後、「全部背負って闘った」と言っている。全日本キックの選手たちが対抗戦で負け続けていること、小林GMプロデュース興行のメインであること、母親の死、それら全部を背負って、石川はリングに上がった。そしてそういう選手でさえも負けてしまうという現実。これは見る側もしっかり受け止めなきゃいけないだろう。
だから石川が母親を亡くした悲しさと、試合に負けた悔しさを重ね合わせたり、敗因をそこに求める(いつもの石川ではなかった、みたいな)のは失礼なんじゃないか。石川は公開練習の時、この試合を「母ちゃんが作ってくれた最後の舞台」だと言っていた。つまり“母親の死を乗り越えて”ではなく“母親の死さえも力にして”闘おうとしたわけだ。無理やり自分に言い聞かせていたのかもしれないけど、そういうふうに考えることができる石川は、キックボクサーとしてかなり高いレベルにいると思う。小林GM言うところの“見られるんじゃなく、見せる”境地に達している。全部背負って闘った、という“全部”の中には“プロとしての業”も含まれているはずだ。
そして繰り返すが、そういう試合で負けという結果が出た。後半の失速は、転倒した際に頭を打ったのが原因らしい。こんな大事な試合で、とてつもなく気合いが入っていて、それでも頭を打ったらフラフラになる。腹を思いっきり蹴られたら立てなくなる。当たり前の、もしかしたらつまらないとさえ言える現実なのだが、それもまた石川が背負った“業”かもしれない。だから見る側に対しての破壊力も大きく、心に突き刺さるものがある。
もちろん、敗北は敗北であって、それ以上でも以下でもない。こっちとしても“価値ある敗北”とか“この悔しさをバネに”とか、そんなこと言いたくはない。ただ一つ書いておきたいのは、“全部背負って”闘って、そして負けるなんていう経験は並の選手にはできないってことだ。全日本キックでいえば、そういう経験をした選手は小林聡以降いなかったと思う。ちょっと言い方が難しいが、石川には、小林以降誰もしてこなかった経験をするだけの資格があったのだ。
いや、凄い試合を見せてもらった。勝ったカノンスックの底力も見事だったが、それ以上に石川が背負ったキックボクサーとして、プロとしての業に恐れ入った。立川談志は落語家を“作品派(代表例は桂文楽)”と“生き様派(代表例は古今亭志ん生)”に分けていて、明らかに“生き様派”を志向している。この分類は、あらゆる表現者に共通しているはずだ。そして石川は、今回の試合でキック界における“生き様派”の代表格になったのだ。

